土地の購入でモヤモヤしていた私。
次はいよいよ建物の打ち合わせ…と思っていたのですが、始まりは想像もしない形でした。
紆余曲折ありながらも、自身で「自社で建てます」と決めたことが、いきなり社内の営業会議で発表され、プライベートがさらけ出される事態に。
家づくりのワクワクどころか、血の気が引くスタートとなりました。
営業会議で突然の”公開処刑”
「○○さんが自社で家を建てたいそうです」
会議も終盤に差し掛かり、社長が一人ひとりに何か発言があるか確認していく流れが始まったとき、突然その言葉が上司から社長へ伝えられ、会議室の空気が変わりました。
まるで”公開処刑”のように、私のプライベートが全員の前でさらされてしまったのです。
会議の席には事務方のお局様方もおり、妬み癖が強く噂好き。
一瞬にして表情が険しくなったのが分かり、静かに、目立たないように努めていた私にとって、最悪の事態が起き始めたと感じました。
ただ、なんとか乗り切らなければなりません。
ここで大事にしたのは、言われたことをそのまま話すほど軽々しい人間ではないという自制。
自分の内情を軽々しく話すことはせず、この場は”それらしく”取り繕って自分を守ることにしました。
社長から突きつけられた予算と頭金
更に衝撃だったのはその後。
社長から、建物の予算や頭金の額をその場で聞かれてしまったのです。
聞いているのはもちろん、社長だけではありません。
同僚や上司が見ている前で、自分のお金事情を赤裸々に話すことになるなんて…。
その瞬間、血の気が引く思いでしたが、社長の質問を回避することはできません。
ただ私自身、頭金の額などはぼんやりとしていて、まだ明確にしていなかったときです。
40代シングルマザーの、多すぎず少なすぎない無難な頭金の額を咄嗟に考えました。
周囲は興味深く聞いていたことでしょう。
私は”ただのさらけ者”でしかありませんでした。
家づくりの始まりに感じた”重さ”
「夢のマイホーム」と言えば華やかに聞こえますが、私の場合は最初から最悪なことだらけ。
周囲からは「楽しみだねぇ」と冷やかされましたが、
「こんなに楽しくないなんて思ってもいなかった」
正直、大金を払うというのにこんなに嫌な思いをするなんて、気が重くて仕方ありません。
建物の打ち合わせが始まる前から、会社の中で自分の生活状況までさらされることになり、素直に楽しめないスタートだったのです。
同僚たちの知恵と工夫に救われた間取りづくり
あの”公開処刑”のような会議のあとも、しばらく気持ちは沈んでいました。
でも、若手の同僚たちが声を掛けてくれ、家づくりに知恵を貸してくれました。
「どうしたら私の希望を叶えられるか」を一緒に考えてくれ、限られた坪数の中で工夫を凝らして案を出してくれたのです。
私の「こうしたい」を何とか形にしようと知恵を絞ってくれたことが本当に嬉しくて、その結果出来上がった間取りを今、とても気に入っています。
延床面積は28坪ですが、なんと4LDKです。
私は当初、自分の部屋は持てないと思っていたので、子どもが独立するまではリビングで寝ようと思っていました。
ですが同僚たちがせっかくだから自分の部屋を作った方がいい、と考えてくれた結果です。
3.7畳ほどの小さな小さなお部屋ですが、アクセントクロスで柔らかい雰囲気を持たせた、私専用の寝室です。
仕様は社長の”絶対条件”
一方で、仕様については私の希望だけでは決められませんでした。
社長からの指示で、自社の特徴を必ず取り入れることが絶対条件だったのです。
もちろん費用は自己負担。
金額を少しでも抑えたい私は、何度か営業部長に相談しましたが、社長が気づいてしまったらおしまい。そのリスクは避けた方がいいという助言のもと、私は断るという選択肢は与えられず、受け入れるしかありませんでした。
支えがあったから、この家を好きになれた
それでも、営業部長が私の担当営業をしてサポートしてくれたり、若手の同僚たちが親身になって予算に合うような工夫をしてくれたり…。
キッチンの天板はステンレスがかっこいい…
欲しいペンダントライトはここで買える…
取り付けたいハンガーパイプの高さはこれくらいかな…
私の悩みにいつもアドバイスをしてくれました。
そうやって周囲が動いてくれたからこそ、私は「この家が自分の家でよかった」と心から思えたのです。
プレッシャーや理不尽もあったけれど、人の温かさがあって完成したものだから、最終的には満足でき、今では大好きな家となりました。
続いては、建物に仕様決めから完成までのことについて書いていきます。
